現代日本における宗教信仰復興とイスラーム:アミーン水谷周

骨子

11月初めの三連休に、代々木上原の東京ジャーミィにおいて、第1回のシンポジウム「東の果てにおけるイスラーム」が開催された。その最初のセッションにおいて、表題のタイトルで本法人の眼目である現代日本の宗教信仰復興について講演をした。その内容を紹介する。会場との質疑応答も活発なものがあり、高校生など若手青年層からも熱心な参加を得ることができたのは、講演の趣旨にそうものとして幸いであった。

現代日本は宗教離れがはなはだしい。まず戦後70年を生きて来た人間として、特に若い人たちに向けて、同期間を振り返りいくつかの現象を指摘する。またこの宗教離れは世界的にも特殊な状況であることを説明する。
・戦前の国家神道支配への反省
・徹底した政教分離政策
・「神々のラッシュアワー」といわれた50年代~60年代の現世利益追求型新宗教の勃興
・オウム真理教など過激な現象
・宗教の政治介入に指針が不透明で、宗教にどう向き合のかという戸惑い
 宗教離れは、社会的なひずみと人間疎外の原因となっていること
・自殺者が多数出ること
・生きがいを求める話題の多いこと
・道徳観念の弱体化
・人生の最後に近づいても人の心は千々に乱れること
・人道支援の功績などへの宗教界からの称賛がない
 一方、大災害など、「悲」の拡大と宗教回帰の兆候も顕著。本来宗教行事への参加は、神々しく、また晴れ晴れしいものだが、現状は気恥ずかしい印象という真逆の様相がある。特殊な現代日本の宗教アレルギーを治癒することは、今後の日本の根本課題である。それは本来の人間復興でもある。信仰は個人的な面もあるが、日本社会としては、ここにイスラームの役割がある。そのいくつかを列記する。
・新しい人生観の導入―死生観、生きがい、安寧、看取り、共同体意識など
・新しい思考の枠組みー国際的視野、繰り返し論法、縁起より因果関係、情緒より論理性など

Contents

 現代日本は宗教離れがはなはだしい。まず戦後70年を生きて来た人間として、特に若い人たちに向けて、戦後を振り返りいくつかの現象を指摘する。そしてこの宗教離れは、世界的にも特殊な状況であることを確認したい。
1. 歴史的背景
 戦前の国家神道が軍国主義に奉仕したという反省から、戦後の日本は出発した。「神も仏も何も助けてくれなかった」という実感が支配した。それに加えて、日本を統治した米軍主導の連合国の施策として、徹底した政教分離政策が図られた。その主要な柱は、憲法に明記された。政府が宗教を政策の道具として使用することは禁じられ(第20条)、また公金や公の財産を宗教目的に支出することがご法度(第89条)となった。同時に宗教教育は公的な教育からは追放された(第20条第3項)。このように徹底した政教分離の施策は、強制されたというよりは、国民全体が議論の余地なく当然視して受け入れたものであった。占領政策と国民全体の選択が一致することとなったのは、敗戦に至る日本の歴史がもたらした結果であった。
 その後の日本社会における宗教状況は「無宗教」と言われるほどになった。その一つの現象は、1950年代から60年代になって見られた、現世利益追求型新宗教の勃興である。それは大都会に流入してきた労働者たちの心の拠り所を提供したが、そのすさまじさは「神々のラッシュアワー」と言われた。さらに70年代から80年代以降は、オーム真理教など過激な現象も出てきた。また宗教は政治活動に従事することは禁じられていないものの、政治への介入のあるべき指針は不透明のまま時が過ぎた。それが公共の利益を損じたと訴えられている旧統一教会の問題を惹起させ、総じて社会全体として宗教にどう向き合うべきかについては、遺憾ながら戸惑いが隠せないのが現状である。
2. 日本社会の宗教的混迷
 宗教離れは社会的なひずみを引き起こしてきた。自殺者が多数出ること、生きがいを求める人の多いこと、道徳観念の弱体化、人生の最後に近づいても人の心はチジに乱れることなどに顕著に表面化してきた。また国際社会において評価されているような日本人の人道支援の功績などに関しては、国内の宗教界からの称賛は見られず、人もそれを不思議とは見ていない。一方、大災害など、「悲」の場面の拡大と宗教回帰の兆候も顕著に見られるようになってきている。本来宗教行事への参加は、神々しく、また晴れ晴れしいものだが、現状は気恥ずかしい印象という真逆の様相がある。以上は宗教アレルギーとも称されてきた。
 現代日本の若い世代は宗教アレルギーしか見てきていない。しかしそれを克服することは、今後の日本へ向けての根本課題である。なぜならば、素直な宗教信仰は本来の人間復興であるからだ。確かに信仰は個人的な面もあるが、他方、社会的な意義も重要。ここにイスラームの今後の日本社会における役割がある。そのいくつかを列記する。
3. イスラームに期待される社会的貢献
 以下の諸側面で、古来の日本社会の在り方を刷新する力がイスラームに期待される。
ア. 新しい人生観・死生観 日本の伝統ともなった人生観は、多くは仏教的なものである。水が流れるがごとくに、流れに逆らわず現世から去って行くのである。そこには強い生きがいを示すものはない。自殺者が世界の中でも常に上位を占めている原因と考えてもよいだろう。常に善行に励み、それは報奨として最後の日に清算されるとするイスラームの前向きな発想は、消極的な人生観を大きく転換させてくれるだろう。人は過ちを犯すようにできているが、それは同時に常に悔悟の対象となり、その後からは新たな人生の局面に取り組む、つまりリセット力がイスラームには担保されているということになる。
 死ぬことは当然であり、それを怖がる必要は何もない。本当に怖いのは、最後の日の審判である。そう思うと、日々は明るいものとなるだろう。
イ. 安寧、看取りなど 今の日本で心の安らぎを求める人の多いことは驚くべき事態である。所得レベルは低い社会ではないし、最低生活の保障など社会のセイフティ・ネットもそれなりに確保されているからだ。人は物では安心できないのである。どこから来て、どこへ行くのか、その全体の航路が示されないかぎり、心の安寧は訪れない。イスラームはそれを用意している。クルアーンは不安や当惑を解消して、安寧を幸福の道標とし、また天国で得られるのは永劫の安寧であるとする。
ウ. 共同体意識など ムスリム間の同胞意識は、生き生きしたものがある。日本には中華街が発達しているが、いずれムスリム街が学校や医療施設などと共に充実してくるものと思われる。それは海外からのムスリムも入れることで、日本社会全体に好影響を与えるであろう。
エ. 新しい思考の枠組み 一層広い国際的な視野を提供する。また競争原理のみに基づく進化論的な近代社会に代えて、イスラーム固有の繰り返しを厭わない新たな生活感覚の獲得、さらには仏教的な縁起観念ではなく因果関係を発想の基本にする世界観を自らのものとし、情緒性ではなく論理性に基礎を置く考え方などを教示するだろう。こうして日本の悪しき伝統の諸側面を刷新するきっかけと原動力を、イスラームは提供するだろう。                     

終わり

講演会の様子

プログラム

シンポジウム『現代における宗教信仰復興を問う』京都会場の起こし原稿

骨子
日時:2022年1月22日(日)13:00~16:30  場所:同志社大学 良心館内RY103
13:00 開会、黙祷(進行 加藤眞三)     
13:03 聖書朗読及び祈祷(小原克博)、法螺貝奉奏(鎌田東二)    
13:10 挨拶 叢書編者 島薗進、国書サービス社社長 割田剛雄  
13:20 討論開始(司会 小原克博)シンポジスト 岡田真水、鎌田東二、
水谷周、弓山達也)  
15:00 休憩  
13:15 再開 コメント(島薗進、加藤眞三)   
16:30 横笛奉奏(鎌田東二)、閉会